オーナーセラピスト
- 名前
- 櫻井香織
- ふりがな
- さくらい かおる
- 資格
- インベントプラス巻き爪矯正師
外反母趾矯正専門技術者
英国IEB認定リフレクソロジスト - 出身地
- 東京都
実は私も巻き爪に悩まされていました
私は、クラシックバレエを小学校3年生~中学2年生までやっておりました。
外反母趾の変形と痛みは、この頃から始まり、高校で制靴(ローファー)を履くことでさらに悪化。それと同時に巻き爪にもなってしまいました。高校生の私ではどうしたらいいかわからず、母に聞いてみたら、近所の何でも診てもらえるクリニックを受診することにしました。
クリニックに行き、先生に爪を見せると、先生は「あー、食い込んじゃっているね。」と言いながら、私の食い込んだ爪の部分をバリっと剥がし切り取りました。
「ぎゃあああああ~~~。」
私の声が院内に響き渡りました。
何をするかも説明せず、急に食い込んだ爪を剥がし取るなんて・・・。そのまま脱脂綿とガーゼ、包帯にて、患部をぐるぐる巻きにして、私を家に帰しました。
それからよくなるのかなーと思っていたら、新しく伸びてきた爪がまた食い込むのです。そして、ズキズキ痛むのです。『病院であれだけ痛い思いをするんだったら、自分で爪を短くしたほうがいいや。』と思い、それからは爪の食い込む端っこの方は、伸びてくると深く切るという繰り返しになりました。成人して20代後半くらいまではこの繰り返しでした。
その後、もう1回だけ、うかつにもその時の事を忘れて、また、巻き爪の痛みでどうしても耐えられなくなって、同じクリニックに行ってしまいました。が、その時もされた処置は同じで、再び、絶叫し、帰ってくる始末でした。
それから巻き爪で二度と病院に行くことはありませんでした。
若い頃は、先のとんがった靴がかっこよく見えるので、そういった靴を巻き爪が痛くても我慢して履いていました。それに外反母趾でしたので、外反母趾の部分が痛いのか、巻き爪の部分が痛いのか、いつもどちらかが痛い状況です。
当時は、まだ、パソコンが出てきたばかりの時代でしたので、病院の治療の情報なども全くなく、痛かったら、我慢しているしかありませんでした。30代になってやっと尖がった靴をあまりはかなくなったので、巻き爪の傾向はあったものの痛みはなくなり、ほっとしていました。
外反母趾についても、病院に行って治るものだという意識は全くなく、情報も全くなかったので、整形外科も行ったことはありません。20代のころもパンプスを履いて痛くても我慢。そんな日々を続けていました。『外反母趾は、治らない、一生付き合うものだ』と思っていました。夜寝ている最中も急に外反母趾が痛くなることがあり、これが最高に痛くて我慢できないのに一生懸命我慢していたことを今もありありと覚えています。
なぜ、セラピストの道に入ることになったのか
もとは、製紙会社の研究所に研究員として勤務しておりました。
24歳の時に、失恋と友人の自殺を同じ日に体験し、精神的なショックで、生理不順(無月経)になってしまいました。半年くらい生理が来なかったので、不安になり、母に相談し、近所の婦人科に行くことにしました。
そして、ただ、生理を起こさせる薬を頂いて、結婚までは治療をしていました。薬がないと生理が来ない状態だったので、結婚する相手にその事実を受けてもらえるか不安でしたが、受け入れてもらい、治療は続けることにしました。結婚するまで、無月経になってからこのときは、2年が経過していました。
そして、26歳で結婚後、お医者様のお薦めで、大学病院にて、ホルモン治療を行ないました。
当時は、インターネットも本当にごく一部の人が使い始めたばかりの時代であり、現在のように薬やどんな治療をしているのか?についてもほとんど情報がなかったため(大学病院の先生に聞いてもほとんどよくわかりませんでした。)本当に治るのかどうか不安でした。
大学病院で頂く薬は、副作用(イライラ、過食、体重増、精神的不安定)はあるものの、いっこうによくならないうちに、配偶者の仕事の関係で、香港へ行くことになります。香港で海外生活を送れること事態はうれしかったものの、生理不順の病気をどうしたらいいのかわからずに不安でした、この時、すでに無月経になってから5年が経過していました。準備としてお医者様に頼んで、英語にて治療の経過を書いた紹介状のようなものを英文にて書いてもらうことにしました。
しかし、香港へ行き、生活をはじめたものの、どの病院で治療を進めたらいいのかが、いっこうにわかりませんでした。
日本人がよく行く香港人で日本語の話せるドクターはいるという話しは聞いていたものの、不安でお医者さんにもいけませんでした。婦人科専門の医師ではなく、一般科医と言われる医師ということでした。香港に渡ってから1年くらいは、薬もないので、そのまま無月経の状態で過ごしました。口には出さないものの、「生理が来なくて楽でいいや。」という気持ちと「まずいかも。」という気持ちで過ごしていました。
この当時は、まだ、1997年前後で、ちょうど、香港が中国に返還になったくらいの時代でした。インターネットがようやく一般化してきたかどうか?という時代だったため、このまま生理が来ないと子宮にどんな影響があるかという情報も全く知らなかったことから、今の時代よりは、追い詰められたような不安には陥らなかったのかもしれません。
それに、配偶者と共通の趣味を楽しみたいことから子供が欲しいという気持ちはまだ、それほどなかったことも、不安が大きくならないでいられた原因だったと思います。
リフレクソロジーとの出会い
そこで、ご縁もあり、英国式リフレクソロジーに出会いました。その前に一度、香港人が経営する中国式の足揉みには一度行ったことがあったのですが、一度体験したときに、尋常じゃない回数のトイレに行ったことがあり、リフレクソロジーには、もともと興味はあったのです。施術の際、先生には、生理不順のことはいっさいお話していなかったのに、からだがボロボロだと言われました。それで、生理不順のことをお話したところ、しばらく通うように言われたのです。
私としては、よくなれば、ラッキー程度で、生理が来るかどうかなんて、全く期待はしておりませんでした。
ただただ、試してみよう・・・という気持ちだけだったのです。
最初の3~4回は、5日間おきに、1時間のリフレクソロジーのトリートメントに通いました。
その後は、1週間に1回の割合で、トリートメントをしていただきました。
すると驚いたことに、施術をはじめて1ヵ月後には、お薬も何も使わないのに、生理が来ました。
本当に驚きました、この時には、無月経になってから6年くらいは経過しているわけですから、薬がないと
全く生理も来なかったのに、どうして来るのか不思議・・・といいますか、感動でさえありました。
「すごい!!!」としか言いようがありませんでした。
この体験に大変感銘を受けた私は、すぐに先生のリフレクソロジーを学ぶ門を叩き、1999年、英国式リフレクソロジーの資格を取りました。
この資格を取るためには、きちんと体の仕組みを学ぶための生理解剖学の試験に合格する必要もあり、技術のみならず、体に対する知識が必要になります。きちんと体のケアをするためには体に対する知識も大切です。
(イギリスでは、それだけ資格取得の基準が厳しいということになります。)
これらの経験から、代替医療とも言われるリフレクソロジーの道を歩み始めたのです。香港では、1998年~2001年までリフレクソロジー、アロマセラピーの勉強をし、資格取得、及び現地サロンにて修業してまいりました。
外反母趾と巻き爪施術を導入
2005年に大好きな鎌倉にてサロンを開業。その後、フラワーエッセンスなど心に関係するセラピーやその他様々なセラピーを勉強し、体だけでなく、心もサポートできるサロンへと発展させてまいりました。
サロンでは、肉体だけでなく、心のケアも重視して、お客様を心と体の両方をケアできる施術をできるように心がけています。縁あってこられたお客様ひとりひとりが家族であるようなくつろげる空間を心がけ、アットホームな雰囲気で施術を行なっています。
外反母趾と巻き爪施術を導入
開業してから、7年目で外反母趾の施術を得意とされる先生と出会い外反母趾技術者として、たくさんのお客様の足を施術するようになりました。その時にも、「巻き爪なのですが、どうにかならないでしょうか?」と言われ、外反母趾の技術でピンク色の爪に改善される方も多くいました。
しかし、中程度から重度の巻き爪の方の場合は、その施術ではすぐに痛みがとれるわけではありませんでした。痛みがない巻き爪には、外反母趾の施術で対応できるのですが、激痛の巻き爪には対応できないのです。今回、インベントプラスというワイヤーを使って施術をする巻き爪矯正に出会い、痛みがあって緊急を要する重度の巻き爪の方も、1回の施術で痛みがとれることがわかりました。これは、画期的なことです。
私が、巻き爪で悩んでいた頃は、食い込んだ爪を剥がす程度の処置しか病院でもなかったのですから。痛みがないとしても、外反母趾の方の半数以上は実は巻き爪の傾向があります。原因は、足の使い方の問題です。爪が伸びるのに時間がかかるので、ワイヤーを使った方法でも半年以上の時間がかかりますが、その後の戻りがないように、足のエクササイズ指導等にも力を入れています。
「戻らない巻き爪の施術」をモットーとし、痛みで苦しんでいる女性のお役に立ちたいと思っています。巻き爪の痛みが少しでもあるようでしたら、早めに来店することをお薦め致します。早く健康でピンク色の爪を取り戻しましょう。